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『Outdoor』 連載バックナンバー | |||
◆ 第11回 真夏のお仕事、ゴーストバスターの巻 ◆
ところが・・・。 あぁ、ホントは書きたくないんだけど、でもチョロット書いちゃおうかなぁ。実は残りの1%が問題なのだ。ちょっと厄介なのである。どうゆうふうに厄介かは一口では言えないけど、やっぱりあるのである、そういう世界が。僕も初めは半信半疑だったんだけど、残りの1%に遭遇して初めて信じられるようになったのだ。 まぁ、めったに遭遇できるもんじゃないんだけど、たまたま遭遇した体験談の中から特に印象に残ってる話を御紹介しよう。 去年の夏、僕はある学校の校長から依頼を受けた。内容は、学校の音楽室から誰もいないのにピアノの音が聞こえると言うのだ。学校の怪談シリーズじゃあるまいしまたいつもの勘違い、いわゆる99%のほうだと思い僕はノコノコと出掛けていった。夏休みで閑散とした学校に着くと、校長、教頭、そして音楽の先生の3人が僕を待っていた。 (オイオイ、皆さんやけに深刻な顔をしてるじゃない) 3人とも青い顔をして僕のところへ駆け寄ってきた。 取り敢えず歩きながら話を聞き、音楽室へと向かった。音楽の先生曰く、一週間ほど前から、誰もいない教室からピアノの演奏が聞こえると言う。そして、それをほとんどの先生や生徒が聞いたらしいのだ。 「曲は?」と聞くと、ほとんどがクラシックとのこと。うーん、怪しいなぁ。半信半疑の気持ちのまま音楽教室が近付いて来た。教室に入ろうとしたときだ。物凄い悪寒を背中に感じた。これまでに僕は2回ほど本物、つまり残りの1%に遭遇したことがあったけど、そのときも今と同じような悪寒を感じたのだ。 (こりゃ、ひょっとするなぁ) 一気に気持ちが張りつめて来た。僕は気合いをこめて教室に入った。中に入って見回すと、ごく普通の教室にこれまたごく普通のピアノがあった。見た目には変ったところは感じられなかったけど、相変わらず悪寒は続いていた。 「どうでしょう・・・?」 不安そうな顔で校長が聞いてきた。 「とにかくやってみましょう」 ここで僕は家のお寺に代々伝わる門外不出の方法を用いて、相手とのコンタクトを試みた。詳しくは書けないけど、ある紙を用いて相手の名前や目的を聞き出すのである。そもそも残りの1%の事象には何らかの目的があるはずだ。ただ訳も分からず出てきて人を祟るなんて事は僕の経験から言ってまずない。金魚の霊とか何代前の先祖の霊なんてのはテレビの世界。その目的を聞き出し、出来る限り成就してやるのが僕のお仕事だ。 さて、1時間程お経を読み、秘伝の紙を見た僕はガッカリした。何も書いてなかったのだ。少々気が抜けてしまい、それでもと更に1時間お経を読んでみたけど結果は同じだった。 「やっぱ、ガセかなぁ。それにしてはあの悪寒はなんだったんだろう」 他に方法を知らない僕は取り敢えずやるだけやったので、後はマル秘の紙をピアノの下に置いて帰ることにした。気落ちした校長達と教室を出て暫く歩きだした時だ。ナント、突然ピアノが鳴り出した。それも結構デカイ音だ。4人とも息をするのも忘れて固まってしまった。次の瞬間僕は急いで教室へ戻った。僕が教室に入ると同時にピアノの音がやんだ。ピアノは閉じたままだった。僕は真っ直ぐピアノの下の紙をとりにいった。案の定そこにはある男の名前と住所が浮き出ていた。後からきた校長たちもそれを見てまたまた固まってしまった。取り敢えず3人にその名前に心当たりがないか聞いてみたけど、知らないと言う。じゃ、とにかくここへ行ってみようと言う事になり車でそこへ向かった。ハンドルを握る音楽の先生の手が震えていた。無理もない。今でこそ慣れたとは言え、僕だって最初のときは腰を抜かさんばかりにショックを受けたものだ。 そもそも”お化けが出る”。この漠然とした依頼を受けたとき、僕はまたいつものガセだと踏んでいた。今からおよそ10年程前のことである。とにかくやるだけやればその家の人も納得するだろうし、安心するだろうと思っていた。事実、過去、何回もそうしてきたし、それで解決してきたのだ。僕は、余裕な気持ちでその家に入った。その時だ! 家の鴨居をくぐった瞬間、僕はなんともいえない”悪寒”を全身で感じた。ゾクゾクなんていうもんじゃなく体の芯からグワーンと感じる一種の衝撃のようなものだった。 (うわー、なんだこの気持ち悪い感じは・・・) 僕は一気に緊張モードに突入した。生まれて初めて味わう緊張感だった。そこで1時時間ほどお経を上げ、秘伝の紙を見た僕は我が目を疑った。なんと真っ白の紙に生年月日と名前、が書いてあったのだ。周りの人達もそれを見て、皆、越を抜かしていた。僕もそれに近い状態だったけど、ここで僕まで狼狽したら皆不安になる。 「大丈夫です、落ち着いて」 と、皆を慰めた。それにしても今まで何回かこの方法を用いたことがあったけど、どれもガセで、いわゆる本物ってやつはひとつも無かっただけに驚きもひとしおだった。 とにかく僕はその名前の人が誰かを知りたくて、その場の全員に聞いてみた。すると、皆、口をそろえて、昔そこに住んでいた人だという。今の人たちはその人の親戚にあたり、亡くなったあと引っ越してきたのだそうだ。おおよその事情を飲み込めた僕は、今、家の中でなにかしていないかを聞いてみた。案の定、増築で裏庭をいじっていると主人が言った。早速その場へ案内していただいた。一見何も変わった所はなかったけど、よく見ると隅に小さな祠があった。すぐさまその祠に近づき、中をのぞくとお稲荷さんが奉ってあった。よく見ると、その両脇にお札がたくさんある。僕をそれを皆取り出してみた。そのお札にはそれぞれ祈願の眼目が書いてあり、一人一人の名前がそれぞれに書かれていた。それは今現在ここに住んでいる人たちの名前だった。きっと、故人が生前中親戚の人たちの健康を祈って近くのお寺に願を掛けていたものだろう。主人いわく、故人は一人身で子供も無く、その主人の子供を自分の子のようにかわいがっていたと言う。聞くと、その祠も明日中には片付けようとしていたと言うのだ。全て納得である。僕は、その祠の前でお経を読み、故人の供養をしてから祠の奉り方を教えた。こうしたものは粗末にすればきりがなく、その家にとってもそれはよくないだろう。僕はあまり”バチがあたる”ってことは信じたくないほうだけど、ちゃんとした信心で奉ればその家にとって守り神となると信じている。そのことをようく納得させてから帰ってきた。故人に感謝し、ちゃんと供養するようにアドバイスしたのだ。以来、その家に幽霊は出なくなった。このいわば”1%デビュー”は僕にとっていろんな意味で印象に残る初体験であった。この後、僕はこうした事象に対して真剣に取り組めるようになったのだ。やはり、自分で体験して、はじめて信じられる次元のものなのである。 さて、震える手で運転する先生の車で30分ほど走ると、紙に書いてある住所の付近に到着した。車から降りて尋ね歩くと、すぐに家は見つかった。表札をみるとたしかに名字は紙に書いてある通りだった。しかし、該当する名前はなかった。玄関のベルを押すと中年のおばさんが出てきた。早速訪問の旨を告げ、名前に心当たりがないか聞いてみたら知らないと言う。おばぁちゃんにきいてみると言って奥に入っていくと、暫くして80絡みのおばぁちゃんがでてきた。再び旨を告げると、ようやくおばぁちゃんの口から正体が分かった。 紙に書いてある名前の人物。それはおばぁちゃんのお父さんだった。音楽を愛した人で、小学校の音楽の先生を長いことしていたというのだ。そしてその小学校こそ依頼のあった学校だったのだ。昭和32年に62才でなくなるまで平穏な人生を歩んだという。僕は、今、家の中で何か造作をしてないか聞いてみたけど、そんなことはしてないと言う。最近特に変わったことは無いそうだ。 うーん、じゃーなぜ・・・。僕は過去に遭遇したことと照らし合わせてみた。何かあるはずだ・・・。いったい、ピアノの先生は何を訴えているんだろう。学校やこの家に特に原因があるとは考えにくかった。だとすれば、なんだ?。暫く考えた後、フと思い付いたことがあったので、おばぁちゃんに頼んでお父さんのお墓に案内してもらうことにした。お墓は家から10分ほどはなれたお寺にあるという。数年前に住職が亡くなってからほとんど廃寺状態らしい。僕らはそのおばぁちゃんを車に乗せ、そのお寺へと向かった。 程無くそのお寺に着いた。確かにおばぁちゃんが言うように荒れていた。人がいる気配が無く、散らかり放題だった。しかし、車から降りるとなにやら裏のほうで大きい音がする。僕らはおばぁちゃんの手を引きそこへ向かい、全員”アッ”と声を出して驚いた。そこにはをあろうことかお墓をブルドーザーで壊している光景が展開されていたからだ。お墓をそこらの瓦礫同然にブルドーザーでなぎ倒していく業者のそばに坊さんらしき人がいたので、僕は掛けより、そのことを詰め寄った。すると、その坊さんは近々そのお寺に入る予定で、今のお墓を整理し、霊園を経営する予定とのこと。僕は込み上げる怒りを抑え、ここに来たいきさつを述べた。それもかなり大袈裟にだ。すると、さすがにやや怖気づいたのか青い顔をしだした。それを聞いていたブルの運転手たちも、どうもこの工事をやりだしてから怪我や事故ばかりあり、こりゃやめたほうがいい、と言い出したのだ。僕は困り果てているその坊さんを尻目に、おばぁちゃんのお父さんのお墓に行ってみた。すると、奇跡的にお墓は残っていた。しかし、今日か明日には壊されていただろう。間一髪間に合ったのだ。僕は、かねて用意しておいたお線香に火をつけ、お経を読んだ。他宗派だったけど、今はそんなことは関係ないのだ。僕は倒されたお墓にもお線香を供えた。ねんごろにお経を読み終わると、後ろにさっきの坊さんが立っていた。力なく「やっぱり、取り壊すのはやめようと思います」としおれていた。僕は、そのほうが良いでしょうと言い、その場を去った。その際、こういうことをして怪死を遂げたお坊さんの話をしてやった。すると、益々青い顔になってうなだれていた。もちろん、んな話は嘘っぱちだ。ちょっとお灸をすえてやったのである。 ブルの音がやんだお寺には、また元の静寂が戻っていた。 その後、学校でピアノの音もしなくなったし、おばぁちゃんからも感謝されちゃった。メデタシ、メデタシである。 うーん、実にエグイなぁ。こうして思い出しながら書いていても鳥肌立っちゃうモンなぁ。あのピアノの音は今でも鮮烈に耳に残ってるよ。自分のお墓をいじられることに対する魂の叫びだったんだね、きっと。 今回の依頼はどうかなぁ。怖くなきゃいいけど・・・。 まっ、すっごくヤバそうだったら、釣り竿担いで逃げちゃおっと。 ここで一首 夏が来て (『Outdoor』 1999年2月号掲載) |
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