![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() | ||
---|---|---|---|
『Outdoor』 連載バックナンバー | |||
◆ 第21回 パンク坊主がゆくの巻 ◆
曲の内容は、メンバーのオリジナル半分、あとは「ラルク」や「グレイ」の曲といった構成。大学時代にやってた音楽の方向性とは大違いなので、昔のメンバーが聞いたらビックリするだろうけど、これはこれでけっこう楽しかった。すっかりリラックスしてたたけたもんなぁ。 昔はキング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者」なんてすごいタイトルの曲があって、そのドラムができればプロになれる、というちまたのウワサを信じて一生懸命練習したもんである。もうこのドラムはめっちゃ難しくて、本当にタイトルどおりプッツンしそうになりながら練習した。ギターはギターで、レッド・ツェッペリンの「ハートブレイカー」のソロを完璧に弾ければ一人前とされ、ギターのヤツはそれこそ左手の指先がコチコチに固くなるまで練習していたものだ。 そんなんでたまにライブハウスでギグるときは緊張の連続。やってる僕たちはもちろん、聞いてるほうもよく知ってるわけ、曲を。だからちょっとでも間違えると「あ、こいつドジってやんの」てな目で見られちゃう。負けず嫌いのオイラとしてはそういうのって耐えられないから、必然的に猛練習しちゃうわけ。うまくなるわけだよなぁ。いつしかライブのトリに必ず前出の「21世紀……」を演奏していたけど、かなり完璧に近いかたちでできていた気がする(ただし、僕を除いてだけどね)。 そんなふうだから、演奏が終わるととにかくホッとした。ほかのメンバーの足を引っぱらずに済んだなっ、て思うわけ。とても、演奏を楽しむって次元じゃなかったね。 今、やってる曲もそれなりに難しいんだけど、昔と違って楽しめちゃう。きっと余裕ができたのかもしれないね。 さて、ここまで書くと「あれ、何こいつ。生意気にバンドやってたの?」と、思われる向きもおられよう。そのとおり、やっとりました。まぁ、ほんの1年だけどね。僕を除くとほかのメンバーはみなプロをめざしてたんだから、よくそんなバンドにいたといまさらながらつくづく思うね。 大学4年のときに有志が集まって結成したんだけど、当初はもちろんみんな遊び半分。いっちょバンドでもやってみっか、っていう軽いノリでスタートしたのだ。僕だって、そのころは山と釣り、マージャンに競馬、競輪と大忙しだったので、本気でプロをめざすなんてつもりはさらさらなかった。あくまでもアソビのつもりで始めたのだ。ところがである、ある日をきっかけにみな、本気になっちゃった。いきなり「プロになる!」と言い始めたのである。というのも、メンバーのひとりのコネで出させてもらったライブハウスでの評判がすこぶるよく、マスターの「君たち、イイ線いってるよ」のひと言に舞い上がってしまったのだ。 こうなると、もう練習だって半端じゃなく真剣になっちゃうわけ。昼はもちろん、夜も遅くまで練習漬け。いやぁ、つらかったなぁ。今だから言うけど、オイラ、あんまり乗り気じゃなかったのね。特に夜の練習はブルー一色。だって、そのころ「夜は規則正しくマージャン」て決めていたからドラムなんてたたいていたくない。スティックなんかよりマージャン牌を握っていたかったのだ。昼間だって競輪でいいレースがあるのに「練習だ」と呼び出される。つらかったなー。毎度「オレもうやめるわ」って言おうと思ったことか。でも言い出せなかったのは、ほかのメンバーの本気さに気押されていたから。みんな必死だったもん。自分で曲まで作っちゃって、デモテープをレコード会社に送ったりしてるそばで、とても「やめる」なんて言い出せなかった。そんななか合間を縫って卒論もやらなきゃなんなかったんだもん。たまんねーよなぁ。 いま思うと本当にハチャメチャな一年だった。よく卒業できたよね。 その当時の音楽仲間に、松坂裕一という一風変わった友人がいた。彼はソロで音楽活動をしており、僕と同じ山梨出身ということで妙に気が合った。ただし、先ほども書いたとおり彼は少々変わっており、ときどきその奇行に度肝を抜かされた。 ある日のこと。僕が彼の部屋を訪ねると、苦しそうにウンウンうなってる。どうしたんだと聞くと「草にあたった」と言う。 くさ? なんのことかわからず、詳細を訊ねると「道端の草を食べて食あたりを起こした」と言うのだ。たまげたね。それまで彼のプライベートにはあまり立ち入らなかったけど、夜、駅前でギター練習をし、そのあがりで食ってるとは聞いていた。しかし、普段の顔色からろくなモノを食っていないとは思っていたけど、まさか草まで食っていたとは……。 僕はすぐに薬局に行って下痢止めを買い、彼に飲ませた。しばらくすると、だいぶ落ち着いてきたので、何気なく普段の食生活を聞いてさらにおったまげた。普段の主食はパン屋でパンの耳をタダでもらい、牛乳を買ってきていっしょに煮る、いわゆるパン粥ってヤツを作り、それを食ってるというのだ。それを1週間も2週間も食べ続けるらしい。もつわきゃねーや。で、たまにいいあがりがあったときはコロッケを食ったりする。それが最高のゼイタクなのだそうだ。 いや、すごいね、ここまでしなきゃプロになれないのかと思った。 それに比べてうちらのバンドはそれなりにみな貧乏してたけど、ここまでハングリーじゃなかった。特になかのひとりが金持ちの息子だったので、スタジオ代なんかで苦労したことは一度もなし。どちらかというと、恵まれていたのだ。 この松坂の口癖が「好きなことをやってんだもん、平気、平気」だった。これは貧乏して腹が減ることにとどまらず、ライブで反応がなかったり、レコード会社から送ったテープに対する返事がないことも全部含まれての言葉だった。 この言葉が僕の中にくすぶっていた何かに火をつけた。卒業を間近に控えたときバンドの仲間に「オレ、やめるよ」と、言えたのもこの言葉のおかげである。活動を広げようとしていた矢先の僕の言葉にみな戸惑った。「なんで?」と聞かれたとき「オレが本当にやりたいのは、バンドじゃなく、山と釣りなんだ」と、言えたのは間違いなく松坂のおかげである。 あのままズルズルやってたら、たとえ成功していてもきっと後悔したと思う。本当にやりたいことをするための勇気、それを松坂は教えてくれたのだ。バンド仲間にはわるいことをしたと思ったけど、みな最後に「がんばれよ」って言ってくれたときは泣けたなぁ。 バンドは僕が抜けてから新しいドラマーを見つけて活動していたけど、2年後に解散しちゃった。残念ながら芽が出なかったのだ。成功してほしかったのでちょっぴりさびしかったけど、まあ、みんなやるだけやったからいいんじゃないかと思う。 その松坂から7年ぶりに手紙が来た。航空便の封筒を開けると、今、彼はブラジルにいるという。日本語学校でアルバイトをしながら釣りをしたりしてのんびり暮らしてるそうだ。同封の写真にはヤツが釣ったでかい魚と、昔とちっとも変わらない松坂が写っていた。 松坂も30を過ぎミュージシャンへの道をあきらめ、その夢の矛先を世界へと向けたのだ。前回手紙が来たのがカナダだったので、7年かけてブラジルまで下っていったのだろう。ザックにギターといういでたちの松坂を成田空港まで見送りに行った日が思い起こされる。 「やるだけやったから、いいよ。あとは世界中を旅して歩くんだ。ひぐちも元気で」 そう言って、ニッコリ笑いながら出発していった松坂は、じつにさわやかな顔をしていた。自分のやりたいことを心ゆくまでやった男の顔だった。 手紙の最後に「来月日本に帰るから酒でも飲もう」と書いてあった。それから3日後に松坂から「今から行く」という電話があった。相変わらずアバウトなヤツである。 松坂を身延駅まで迎えに行くと、ひとりじゃなかった。ブラジル人の奥さんと赤ちゃんをいっしょに連れてきていたのだ。 「なんだー、裕ちゃん結婚したの?」 少し、照れ気味に言った。どうやらおふくろさんに孫を見せに帰ってきたらしい。松坂のおやじさんは彼が中学のときに事故で亡くなっている。以来、彼の母は女手ひとつで松坂たち二人兄弟を育ててきたのだ。松坂の弟は実家から地元の中学に通っている社会科の先生である。僕は一度だけ会ったことがあるけど、なかなかいい男だ。どっちもすごく母親思いで、孝行息子たちである。あったことはないけど、きっといいおふくろさんなんだと、ふたりを見て思う。 僕はさっそく彼らを近くの川に連れていった。もちろん、釣りをしたり、バーベキューをするためだ。僕はたいがい遠くから友達が来ると、こうして歓待する。簡単だし、だいいち楽しい。おまけに子供も喜ぶし、いいことずくめである。 用意しておいた釣り竿を松坂に持たせていっしょに川で遊んだ。魚はすぐに釣れた。ウグイとオイカワだったけど釣れれば楽しいし、きれいな川の場合これらもけっこううまい。塩焼きにしてビールとともに腹に納めた。彼の奥さんもおいしいと言って食べてくれた。松坂いわく、ブラジルでも釣れた魚は全部食べてるそうだ。普通の人が食べないようなのでも、彼は食うという。都会に生えている草を食う彼なら、さもありなんと思った。 さんざん河原で飲み食いした後、僕は自分のお寺に彼らを案内した。奥さんは日本のお寺を見るのは初めてだそうでたいそう興味深そうに観察していた。 その後、偶然にもバンドの練習があったので、僕は松坂をいっしょに連れていった。今は松坂も歌は趣味程度になってるらしい。「家族のために稼がなきゃね」といったヤツの目は少しさびしそうだった。それでも歌うことは毎日してるそうだ。 僕はバンドの連中に松坂を紹介した。 しかし、あえて松坂がむかしプロをめざしていたことは伏せた。お互いにいらぬ気をつかうからだ。 いつものように音合わせから始め、30分ほど練習した後、休憩を取った。その際、松坂から「音楽が変わったな」と言われた。「変かな?」と聞くと「いや、いい曲だ」と独り言のようにつぶやいた。 僕は突然、松坂に歌ってもらおうと思いたった。久しぶりに彼の歌を聴きたかったし、今のバンドの連中の刺激になると思ったからだ。 「どう、裕ちゃん?」と聞くと「うん、いいよ」と、ふたつ返事でOKしてくれた。 うれしかった。彼の歌を聴くのは十数年ぶりだ。おもむろにギターを手に、マイクの前に立った松坂の顔は生気に満ちていた。 バンドの連中が注視の中、彼はいきなり歌いだした。昔、得意にしていたオリジナルの曲だ。相変わらずうまい。声に張りがある。当時から彼は歌が抜群にうまかった。僕が所属していたバンドのボーカルも、「松坂さんにはかなわねーや」とぼやいてたもんだ。 1曲目が終わると、みんなから拍手が起きた。その迫力にみんな感動して、しぜんと拍手が起こったのだ。松坂は一礼の後、なに食わぬ顔をして2曲目を歌いだした。聞いたことのない曲だった。たぶん、世界中を放浪しているときに作ったんだろう。昔とは少し趣が違い、ヤツの年輪を感じた。 そうして5曲くらい歌ってくれた。バンドの連中はみな聞き入っていた。歌い終わってわれわれの輪に入った松坂は、輝いた存在へと変わっていた。松坂がプロをめざしていたことをこのときバラした。すると、さらにみなの彼を見る目つきが変わった。一種のスターを見る目である。今のバンドのメンバーのなかにも、真剣にプロをめざしている者がおり、いろんな質問が矢継ぎ早に飛んだ。松坂はひとつひとつ丁寧に答えていた。なんせ、ひとりで10年以上もがんばり抜いた男である。言葉の重みが違うのだ。見てくれのよさと、所属プロの力ですぐに売れてしまう連中とは大違いなのだ。 寺に戻ってから松坂とビールを酌み交わす。彼の奥さんと子供はすでに寝ていた。 「わるかったね、つきあわせて」 僕らはまったく昔と同じペースで飲んでしゃべった。 「ところで、裕ちゃん。これからどうするの?」 僕が松坂をいちばん尊敬するのがここだ。 昔からヤツは、自分のやりたいことをするために生きるという主義で、それを貫いてきた。もちろんだれにも迷惑をかけずにだ。これは簡単なようで、じつはいちばん難しいことなんだと、社会に出てから気づいた。どうしても安定を求め、お金を求め、安住の地を求め、さびしさを忘れさせてくれる相手を求めるのが普通の人間だ。これが決してわるいわけじゃないけど、松坂は違った。「自分は仕事やお金のために生まれてきたんじゃなく、やりたいことをするために生まれてきたんだ」と言い、それに徹して生きてきた。その生き様に僕はいつも触発されてきたのだ。やりたいことをやってるけど、周りにも大迷惑をかけてるって人は大勢いる。松坂はそんな人間とは大違いだ。人に迷惑はかけないし、めざしているものもまるで違う。醜い執着の心といったものがヤツにはないのだ。それがあるなしで、その人の価値は大きく変わってしまう。 「無碍(むげ)の空」という言葉がある。「なんのさまたげもないさわやかな空」という意味だ。松坂を例えるなら、まさにこの言葉がいちばんふさわしい気がする。僕は坊主になってからじつに大勢の人を見てきたけど、なかなかこれほど澄んだ目を持ってる人間には出会えない。まるで人生を達観した高僧のような目だ。昔はそれほど感じなかったけど、今は強烈にそれを感じる。どこか日本人離れ、いや人間離れした雰囲気さえ松坂から感じるのだ。松坂は本当の意味での「自由」という世界で生きてるのだ。 もちろん、こういった生き方にはそれなりにデメリットもある。たとえば、今のヤツには財産というものがない。貯金もない。ブラジルに帰っても自転車があるだけだそうだ。でも、まったくそれをデメリットと考えてないところがヤツらしい。 「でもなぁ、ひぐち、やっぱ子供ができるとオレも好き勝手やってらんないよ」 ぽつんと言った。 「あぁ」 しばらく無言でビールを飲んだ。 「でも、子供っていいよなぁ」 そう言って、財布から出した子供の写真を見ながらしみじみしてるヤツの顔は幸せそうだった。 「あぁ、いいよなぁ」 ふたりの宴会は明け方近くまで続いた。 それからしばらくして高校の学園祭でライブがあった。そのときのメンバーのヤツらの張りきりようったらなかった。前回とは段違いに力がこもっていた。僕も昔を思い出して、汗だくになってドラムをたたき続けた。 必死で演奏するヤツらを見て、つくづく松坂って男のすごさを感じた。みな、松坂に会った日から変わったのだ。何かを松坂から得たのに違いない。 かくいう私めも、じつは今、真剣にバンドに打ちこんどります。松坂に会って、ロック好きの血がまた騒ぎだしたみたい。曲も書いちゃったりしてるもんね。 オイオイだよなぁ。 まっ、40歳でデビューしてもべつにおかしくないよなぁ。50代でデビューした演歌歌手もいるくらいだからね。 まぁ、運よくデビューできたら、みんな応援してねー。 ちなみにバンドのメンバーは、僕も含めて全員お坊さん。 バンド名は「ザ・ボーズ」です。あしからず。 (書き下ろし) |
|||
Copyright© 2000-2013 HIGUCHI Nissei All Rights Reserved. Produced by web-shi TAKESHITA |