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『Outdoor』 連載バックナンバー | |||
◆ 第22回 イワナ犬“レッド”物語の巻 ◆
「はぁ・・・」 思わずその場に座り込んじゃった。こればかりは経験した者でなきゃ味わえないオトロシさだ。 これまでに僕は2回熊に遭遇している。最初は秋田の名峰、早池峰の稜線で。2度目は妙高高原の麓、関川で釣りをしているとき。どっちもコワかったなぁ。やっぱそんときもきっちり固まっちゃったモンね。とにかく3回とも「助かったー」ってのが正直な気持ち。さんざん山に入ってたから、それこそいろんな動物に出会い、大概免疫は出来たけど、やっぱ熊だけはどうにもヤバイと思っちゃう。鹿も猪も、猿もヘビもよっぽど間が悪くなきゃまず心配することはないモンね。 もっとも、昔は狼がいたので、きっと一番気を付けなきゃならない動物だったんだろうけど、狼がいない今、やっぱ熊でしょう、オトロシーのは。 そんな中で狼と親戚でありながら、お友達になれるのが犬である。僕は犬が大好きで、小さい頃も河原に捨ててある子犬を拾って来ちゃぁ、よく叱られたもんである。そして、犬と言えば僕には忘れられない思い出があるのだ。朝日連峰の大自然と共に、今でも僕の心の中に鮮明に刻まれている思い出。今回はそれをご披露しよう。 ある夏、僕はいつものように八久和川に入り、ひたすら上流を目指して林道を歩いていた。しばらく歩いた頃、一匹の犬が僕の後をついてきてるのに気が付いた。うす汚い白い犬だった。一瞬、気が張ったけど、あまりにも優しい目をしていたので、僕はそのまま歩き続けた。2時間ほど歩いたろうか。川への取り付きが近づいてきたので荷物を下ろして一服していると、林道の下のほうから物音が聞こえた。見ると先程の犬がついてきていた。 「なんだ、オメーついてきたんか」。口笛を吹いたら恐る恐る僕に近づいてきた。ザックからソーセージを出して半分あげると、嬉しそうに食いついた。首輪はついてなかったけど、人に飼われていたようだ。猟師に捨てられた猟犬かもしれないと思った。 一服後、腰を上げて一気に川に向かった。ヤブ漕ぎをし、河原を徒渉、岩登りを繰り返してようやく釣りの起点にたどり着いたときには、ヤツはもういなかった。気にも留めずに釣りをし、その夜、イワナを焼き枯らしていたときだ。不意にヤツは現れた。というか、気が付いたら焚き火の向こうにいたのだ。僕は苦笑して焚き火を続けた。焼き枯らしを作っている間中、ヤツはじーっと僕を見ていた。数時間してようやく出来上がった焼き枯らしを一匹お裾分けしてやったらなんと一口で食べちゃった。尻尾を振ってもっとくれとおねだりをしてやんの。仕方なくもう一匹だけやって後は大事にしまった。 「さぁ、寝るか」 火の始末をしてからウイスキーをあおり、シュラフに潜り込もうとしたら、ヤツが枕元に来てしゃがみ込んだ。一緒の寝ようと言うのだ。疲れていたので多少ヤツの匂いが気になったけど、すぐに僕は寝た。犬と寝るのは初めてだったけど、朝までぐっすりと寝れた。 次の朝起きると、ヤツはいなかった。河原に降りて顔を洗い、朝飯の支度をしてると、ちゃっかり姿を現した。 「オメーはメシって言うと来るねー」 追っ払うのも可哀想だし、かといってただ飯を食わす程の余裕はないのである。そこで僕はヤツに一つの芸を教えることにした。それはマキ拾いだ。働かざる者食う食うべからずである。最初は全く覚える気がなかったけど、、イワナ焼き枯らしでつっていたらどうにか拾ってくるようになった。小さい木から段々と大きなモノを拾ってくるようになったのだ。やってみるモンだよなぁ。ビックリしちゃった。 で、そんなことをしていたらすっかり僕になついちゃった。尻尾を振りながらどこへでも僕の後をついてくる。いつしか僕はコイツを“レッド”と呼ぶようになっていた。名前を付けると情が移ると思い、とどめていたんだけど、気が付いたらどっぷりと情が移っていたのだ。はじめ、白毛だからシロにしようとも思ったけど、その鼻の頭の赤いところからそう名付けたのだ。 レッドはわきまえた犬だった。僕が釣りをしているときは邪魔しないように遠くで遊んでいて、口笛を吹くと寄ってくる。メシ時に「マキッ」というとちゃんと流木を拾ってくるようになった。その賢さに、案外コイツはイワナも捕まえることが出来るんじゃないかと思った。カヌー犬ガクならぬイワナ犬レッド。実に格好良いのだ。こりゃイケる、売り出せると思ったモンなぁ。ところがそんな僕の目論見を知ってか知らずか、イワナ犬はイワナ犬でも、ただひたすらイワナをバクバク食べる犬になっちまったのだ。水がスンゲー嫌いで、絶対水に入らなかったモンなぁ。まぁ、目論見は外れたけど、レッドは可愛かった。僕が疲れて休んでいるのを見つけると、遠くで遊んでいてもすぐに寄ってきて顔をなめてくれたし、何よりも存在自体が心を暖めてくれたのだ。 ある時こんなことがあった。その日は朝から雨が降っていて、釣りに行かずにボーっとしていた。基本的に僕は雨の日は動かない。レッドも僕の横で一緒に昼寝を楽しんでいた。お昼近くになって少しお腹が空いてきたのでバーナーで火を起こしてメシにした。保存しておいたイワナの焼き枯らしを取り出してレッドにも与えようとしたときだ。ヤツはイワナに手を付けずにスッと立ってどこかへ出掛けていった。暫くして戻ってきたレッドを見て僕は感動した。なんとヤツは口に流木をくわえていたのだ。大したヤツだと思ったなぁ。コイツはちゃんとギブ・アンド・テイクを理解しているんだと感じた。叩いたりして強引に教えたわけじゃないのに、自分から進んで持ち場を守り、お互いを支え合おうとしているのだ。思わずレッドを抱きしめちゃった。やっぱ犬は首輪につないでおくもんじゃなくて、自然の中で一緒に遊ぶモンだとつくづく感じたなぁ。 いつしか僕らは心が通い合っていた。異体同心という言葉がぴったりのコンビになっていた。 しかし、別れの時は確実に来る。当初1週間の予定を10日に延ばしてアガいてみたけど、とうとうその日は来た。最初、連れて帰っちゃおうかとも思ったけど、家には既に犬がいたし、レッドは大自然の中にいるのが一番な気がした。 別れの日、どこまでもついてくるレッドを、最後はイワナの焼き枯らしでつっておいて、一気に車に乗り込んで走り去った。バックミラーで何回も後ろを確認しながら逃げるようにアクセルを踏んだ。悲しかったなぁ。その時の気分は“あらいぐまラスカル”の最終回くらいブルー入ってた。 次の年、映画“南極物語”のタロー、ジローをレッドにも期待して山に入ったけど、レッドはいなかった。まぁ、ダメだとは思っていたけど、やはりいないと分かったらすごく寂しかった。1週間ほど山にいて、帰りに去年レッドに初めてであった場所に持参のホネをおいて帰ってきた。 それから数年たち、レッドのことも忘れかけていたある日、八久和の隣の胎内川で釣りをしていた時だ。対岸を歩く2匹の犬に出会った。1匹は茶色、もう1匹は白かった。かなり距離があったので確信は持てなかったけど、もしかしてと思い、僕は大声でレッドーと呼んでみた。2匹ともこっちを振り向いた。その瞬間僕は確信した。ソイツは間違いなくレッドだった。なぜなら遠目にもあの真っ赤な鼻の頭が見えたからだ。しかし目があったのは一瞬で、すぐに連れの犬とどっかへ行っちゃった。大声で呼び続けてみたけどダメだった。 「オレのこと忘れちまったのかなぁ」 残念でもあり、寂しくもあった。しかしとにかく元気で良かった。良い伴侶?も見つけたようだし、フィラリアにもやられず生きていてくれたことが何より嬉しかった。 「元気でやれよー」 僕は声に出して叫んだ。 その夜、奇跡が起きた。 釣ったイワナを串に刺して焼き枯らしていたときだ。突然、闇の中から何か現れた。一瞬ギョッとしたけど、よく見ると犬だった。次の瞬間僕の目はこれ以上ないくらい満丸く見開かれた。 「レッドーっ」 思わず大声を出しちゃった。だってそいつは間違いなくレッドだった。僕は尻尾を振りながら近づいてくるレッドを思いっきり抱きしめた。泣けたなぁ。涙が止まんなかったモンなぁ。コイツは“フランダースの犬”のパトラッシュよりも感動的だと思っちゃった。暫く感動に浸っていたら、近くにもう一匹犬がいるのに気が付いた。さっき一緒にいたヤツだ。よく見るとやはりメスだった。 ウメー事やりゃーがって、んなろー。僕はレッドの頭を軽く小突いた。きょとんとするレッドに早速出来たばかりの焼き枯らしをあげると、バクっと意地汚く食いついた。その仕草は昔とちとも変わってなかった。ただ、それを彼女にあげるという行為は昔はなかったものだ。 その夜は皆で寝た。久々に嗅ぐレッドの匂いは実に懐かしいモノだった。 次の朝、目が覚めるとレッドたちはもういなかった。すぐ戻ってくると信じて朝飯を作っていたけど、結局戻っては来なかった。寂しかったけど、ヤツにはヤツの生活があるのだ。僕に会いに来てくれただけでも有り難いのだ。それっきり僕はレッドに会っていない。普通に考えればあれから10数年たっているのでヤツはもうこの世にいないだろう。しかし、彼女と共に僕に会いに来てくれた夜のことは絶対に忘れることはないだろう。 いつか又、僕は朝日連峰に入ろうと思ってる。もしかしてレッドの子供たちに会えるかもしれないモンね。まぁ、犬の見分け方なんて良く分かんないけど、鼻の頭の赤い犬がいたら間違いなくレッドの子供だろうなぁ。 (『Outdoor』 1999年10月号掲載) |
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