![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() | ||
---|---|---|---|
『Outdoor』 連載バックナンバー | |||
◆ 第16回 ギャンブル坊主がゆくの巻 ◆
で、この小四喜を先日久々に上がっちゃった。しかもオーラスで。嬉しかったなぁ。それまで負けていただけに一発大逆転、9回裏のサヨナラ満塁ホームランなのだ。 思えば前回この役満を上がったのが大学時代だから、実に十数年ぶりの上がり。他の役満はちょくちょく上がれるんだけど、コイツはホント久々だよなぁ。 マージャンの役満は幾つもあるけど、上がりやすいのとそうでないのがある。僕は昔、国士無双という役満を一日に3回上がったことがあるけど、これなんか前者だ。 一方上がりにくい役の一つに「天和」と言うのがある。「テンホー」と読むんだけど、これは役満中の役満。つまり大役満である。どういう役かというと、牌が配られた瞬間に上がっているというモノで、ポーカーで言えば、シャッフルして最初に配られたカードでいきなりロイヤルストレートが出来上がってるようなモンである。 僕は中学2年のときに初めてトライした海釣りでいきなり磯の王者イシダイを釣っちゃったんだけど、これなんかもテンホーに匹敵するくらいのマグレだろうなぁ。 そういえば、僕は初めてトライするモノに強い。いわゆるビギナーズラックというヤツを人一倍持ち合わせてるみたいなのだ。競輪も競馬も初めてのトライでいきなりデカイの当てちゃったし、マージャンに至ってはなんといきなり役満上がっちゃった。中学時代に大人に混じって打ったのが最初なんだけど、その時、役なんてまるで知らない僕は、牌をしまう箱の裏についていた役満表とやらを参考にそればっかりを狙い、とうとう上がりきってしまったのだ。その時の大人達の顔ったらなかったなぁ。 まぁ、とにかくそんなんで”オイラにはバク才がある”なんて思ったのが間違いのもと。競輪も競馬もその後、見事に坂を滑り落ちるがごとく、オケラ街道を迷走するのであった。 心の師 競輪、競馬、そしてマージャンに一番のめり込んでいたのが大学時代だった。当時の僕の生活は、山、釣り、ギャンブルにすべての情熱を注いでいた。本来なら坊主としての素養を身につけなければならない時期に、僕はあえて寄り道をしたのだ。この寄り道が今にして思えば非常に良かった。なにが良かったかというと、実に様々な人達に出会い、自分を育ててもらったことである。 釣りに於いては、東北の山奥で出会った老人や、地元、釜無川で出会った名人などがそうである。皆素晴らしい人達であった。自然に対する心構えや釣りに対する姿勢を、僕はその人達から教わった。それまで、ただ闇雲に山に登り、釣りをしてきた僕にとって一つの指標を与えられたのだ。そのお陰で僕は自然や釣りというモノを、別の角度から見ることが出来た。 そして、ギャンブルに於いても、僕にとって非常に重要な人との出会いがあった。前述したテンホーという言葉を聞くと必ず思い出す人、そして僕を大きくしてくれた大恩人でもある人。今回はその人との思い出をチョロットご披露しよう。 昔、僕が新宿の雀荘に入り浸っていた頃の話。そこに無敵を誇る一人のツワモノがいた。仮にOさんとしておこう。左手の小指がない人で一見おっかないオジサンなんだけど、何故か僕とは気が合って良く一緒に遊んだ。競輪もそのOさんから教わった。実に巧みな予想をする人で、普通ギャンブルはどうしてもマイナるんだけど、この人は結構勝ってた。大したモンだよなぁ。マージャンでもほとんど負け無しの百戦錬磨だったし、勝負運のすごく強い人で、後にも先にもこんな人にはお目に掛かったことがないのだ。性格的にはヒジョーに気難しい人で、どうして僕が気に入られたかは良く分かんないけど”ぼんさん、ぼんさん”なんて言われて可愛がってもらったのだ。 遊びの中にも、常に信念を持ってる人で、中途半端と言うことをとにかく嫌い、何事にも全力で立ち向かうその姿に僕は大いに感銘を受けた。 「おい、ぼんさん。マージャンも競輪も所詮は遊びよ。だからこそ真剣にやんなくちゃなんねーんだ。真剣にやりゃあおもしれーし、勝てる。負ける奴らはそこが分かってねーのよ」 酒を飲むと必ず僕にこう言った。そのOさんとある日、いつものように一緒にお酒を飲んでたときだ。ぽつんと一言 「おらぁね、ぼんさん。テンホー上がったら死んでもいいと思ってんだよ。オレもなげーことマージャン打ってるけど、あの役だけにはお目に掛かったことがねーんだ」 と呟いた。 「Oでもテンホーないっすか?」 実は僕も今一歩って事が何回かあったけど、そこからテンホーまでには計り知れない距離があるのだ。 そんな話をして数週間たったある日、いつもの如く雀荘に顔を出すと何やらOさんの周りに人だかりが出来てた。何かなと思い店の人に聞いてビックリ。ナントOさんがテンホーを上がったというじゃない。僕はすぐさまOさんの元へ駆けつけた。いつもは冷静なOさんが明らかに興奮していた。僕と目が合うとニヤリとして 「おう、ぼんさん。やっと上がれたよ」 と言った。僕は頷いてからOさんの手を見た。形はチートイツ、確かに上がってる。僕が初めて見るテンホーであった。 「お・・・Oさん、おめでとう」 僕の声が震えていた。Oさんと同じく。 壁に”天和・・様”と書かれた紙が貼られた。この店では役満は紙に書いて貼り出されるのだ。そういえば貼り出し紙で一番名前が多いのもOさんだ。また一つ新しい勲章が加わった。 数時間後、僕とOさんは二人きりで祝杯をあげていた。ピッチも普段より早く、珍しくOさんが饒舌になり僕も呼応するかのように大騒ぎした。 「おう、ぼんさん。オレはこれで思い残すこたーねーよ。いつ死んでもいいぜ」 二人で酔っぱらいながら朝まで飲み明かした。Oさんのアパートで少し寝てから僕は再び雀荘に戻った。別れ際にOさんが 「ぼんさん、オレが死んだらお経の一つも上げてくれや」 と言った。 「高いっすよ」 と言うと、夕べの飲み代で勘弁しろと笑った。僕も笑って部屋を出た。これがOさんとの最後の会話になってしまった。 それから1週間後、雀荘に顔を出した僕はOさんの死を知らせれた。突然で信じられなかったけど、マスターの言うにはどうもガンだったらしい。たまに痛み止めを飲んでいたのをマスターは知っていたのだ。 「ひぐっチャンは知ってると思ったけどなぁ」 全然知らなかった。一番身近にいてそれが分からなかった自分を恥じた。目に涙をためながらOさんのアパートに向かった。部屋に着くとOさんはすでに骨箱に入れられてた。狭い部屋にコワ面の人達が数人いた。雀荘の知り合いもいた。Oさんの妹という方に挨拶をしてから僕はお経を読ませてもらった。冗談としか思えなかった約束をこんな形で果たすとは・・・。 お経を読んでいたらためていた涙が一気に流れてきた。止めそうとしたけど、どうしようも無かった。 「バカヤロウ、テンホー上がって本当に死んじゃまうヤツがあるかよー」 涙はいつしか悔し涙に変わっていた。お経を読み終わり、妹さんが出してくれたお茶を飲んでいたら、コワ面の中でも一番貫禄がある人が話しかけてきた。 「兄さんのことは兄貴から聞いてましたよ。いろいろ遊んで頂きお世話になりました。これ心ばかりですけど受け取って下さい」 と言って、御経料と書いた封筒を僕に差し出した。驚いた僕はすぐに断った。それでも、とすすめるその人に 「実はもう御経料はOさんから頂いてるんですよ」 と言って、一連のくだりを説明した。 「はは、兄貴らしいや」 と、その人は笑った。笑うと頬の傷が目立った。 暫く話をしてから挨拶をして部屋を出た。悲しさと悔しさが去ると、寂しさが残った。コイツは容易に立ち去ってくれそうもなかった。いつしか足はいつものように雀荘に向かっていた。無意識にドアを開けていすに座り、ボーっとしてたらマスターがコーヒーを入れてくれた。 「やるか?」 苦いコーヒーを一口飲んで、卓に着いた。メンバーを一通り見回すと壁に貼ってある紙が目に留まった。 「天和・・様」 まだ新しい紙が妙に目立っていた。 世に、ギャンブルというとどうしても聞こえが悪く、あまりいい印象を与えないモンだけど、僕にとっては最高の社会勉強の場であった気がする。僧侶になる課程に於いて、様々な修行があるけど、僕にとってはこの寄り道をしていたときの経験が骨肉となっているのだ。俗世間にどっぷりと浸かってこそ世の中が見えてくる。お寺でお経ばかり読んでちゃイケネーのだ。 と、言うわけで今年はOさんの13回忌という事もあり、又どっぷりとマージャンに漬かろうと思ってる次第であります(おかぁちゃんよろしく)。 (『Outdoor』 1999年7月号掲載) |
|||
Copyright© 2000-2013 HIGUCHI Nissei All Rights Reserved. Produced by web-shi TAKESHITA |